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    • 資料3 箱根・京都 片山歯研セミナーの提言

      歯科医療に生活改善を含めよう ー健康作りの基礎としての歯科医療の確立をー   1985.4

    • 一般の歯科医療とは、疾患の進行を阻止して、気持ちよく楽しく食事ができるように回復させることである。
      口腔疾患の代表的なものは、歯牙う蝕症(ムシ歯)、あるいは歯周組織の疾患(歯槽膿漏)である。
      これらの疾患は口腔諸機能のなかでも重要な、①咀嚼機能の障害を引き起こし、数年の間には②病的偏位咬合と、③不全咀嚼とを定着させる。

      治療を始めてから、気にならないように食事ができるまで回復させる。果たしてそれだけで、医療の信頼を得るのに十全なのであろうか。

      片山自身による要約

       

      「医業とは,医学とは,医療とは、医とは、医者とは何か、歯医者になるつもりで、歯医者として、また歯科医で終る心算りでいる者にとって、それらの事柄はいつもはっきりしていなければならぬ筈だが・・・

       

      専門学校に入って間もない頃、早く考えをまとめなければならぬと気がついていたものの、当時すでに歯学、医学教育は細分化され、生理学、解剖学・・・等々の学科がただ授業のため、試験にパスするための授業としてだけのように、それぞれに進められていて、根本の“医”とは何か、と考える“医の哲学”の時間は1時間もなかった。

      教授される学科が次第に理解されるにつけ、今日まで自分自身が治療を受け、体験してきた歯科医療の内容との間に何と大きな開きのあることか。


      全く繋がりのない異質のもののようにさえ感じられ、なぜこのよりなことになるのか,その理由を理解しようとして当惑している時、この格差、断絶に対し指導者から得られた回答は、「学問と実際」「理想と現実」その間にこそ生活の糧があるという答であった。

       

      医療とはこれでいいのか。
      どうしようもなく、またこの道を自分達も進むのか、との思いで永らく自閉的な時を過ごしたことが忘れられない。

      医学教育の要と思われる「医とは何ぞや」「医療とは」「医者とは」について考究する講座は勿論,討議の場すらないままに卒業、歯科医師としての認定が与えられ、臨床医として世に立った時、これらの根本課題について自信も信念も持ち合せていなかったことと、その後の長い期間、臨床医としての理念の確立と実践のパターン決定のために、非常に苦しい足掻きを続け、ひたすら理想と現実の谷間を埋めようとする強情さに、多くの患者がまた友達までもが去って行ったことを誠に残念に思い返される。しかし貫き通した努力を省みて、密かに誇らしくも思っている。」

       

      と述懐しながら、

       

      「歯科医学は医学の1分科、医学は疾病治療の学問であり、予防、健康維持増進の学問でもある。

      医学は、理論であると同時に技術である。
      技術の伴わない理論、理論の裏づけのない技術、共に医療としては成り立たない。
      理論と技術が両立していなければ、満足な医療を望むことはできない。
      医療を離れて医者はない。
      ここで理論として注意しなければならぬことは、人を生物とだけ見て、科学的にだけ病気の治療を考えるのでは十分でないし、技術としては、技術本来の自然界の事物を人間のために都合よく利用、制御、征服する働きとは異り、医学においては人が人に求められ、その人のための働きかけである点で、技術ではあるがその間の違いはまさに雲泥、その差こそ倫理ということである。」・・・

       

      とわが道に対する考えを述べ、来し方の歩みと余生の覚悟について15,000字の小論を残している。

       

       

      編集者の要約

       

      『医の哲学』に値する授業がなかった。
      学問と実際、理想と現実の格差・断絶、その間に生活の糧があるというのが、当時の指導者達の答えであった。

      臨床医になって、ひたすら理想と現実の谷間を埋めることに専念。

       

      医学は、理論と技術が両立すべきであるし、
      理論の注意点:人を生物とのみ見、科学的側面だけから対処してはならない。
      技術:人間の都合で自然界を利用、統御、征服する技術とは異なり、倫理が介在する。

       

      医療に当たっては、患者を国家試験委員と見立て、理論と技術共に最善を尽くすのみならず、協調的で愛情のこもったものでなければならない。

      ここで医療行為の望ましい効果を上げるために、
      ① 患者自身の療養行為

      ②医者を補助する看護者の重要性を謳っている。(歯科医療においても全く同じ)
      歯牙疾患の特異性:自然治癒力、自然回復力の欠如⇒修復物の継ぎ足しによって初めて治療が完成する。

       

      医科では外科学で義手・義足の製作技能の訓練はない。
          眼科学で視力補正レンズの調整技術鍛錬の授業はない。
          耳鼻科で難聴のための補聴器製作技術指導はない。
      歯科のみ、修復物作製の実習教育時間がすべての基礎医学教育時間より多い。
      修復物は治療行為の一部⇒歯科医自身が行うべきである。
      また歯科治療行為の多くは指の器用さ、技術の鍛錬が必要不可欠である。

       

      歯槽膿漏:歯を取り巻く歯槽骨の消失が特徴、これもまた治療によって元通りに回復する事は殆ど無い。
      治療の目的:吸収をくい止め、僅かであるが歯槽骨を修復する事、そのためには、原因除去と歯肉と骨の回復力を旺盛にすることである。
      ここで初めて、患者の療養・養生、看護者の的確な指導が必要になる。
      独善に陥らないためにも学会に参加し、発表し、理解し批判を受ける事。

       

      講演等の依頼を数多く受けたが、時間的制約や講演による啓蒙の限界等を勘案し、熱心な人材をのみ対象に、研修設備を準備し実地研修するシステムを構築した。

       

      『趣味というならば掃除とでも答える以外にない無心に掃除する作務の心』と結んでいる。

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